鶴見区の歴史と文化を訪ねる

2017 6/12 地下鉄鶴見緑地線 横堤駅~中高野街道~阿智早雄神社~JR放出駅  解散


《淀川大改修の功労者 大橋房太郎経緯碑》

大阪市鶴見区放出の人。地域の寝屋川の改修を中心に、淀川の大改修に明治18年(1885年)から明治29年(1896年)にかけて大阪府会議員などを務めながら、私財をなげうって晩年は清貧を全うしました。今も放出の大功労者です。

《阿遅速雄(あちはやお)神社》

阿遅速雄神社は大阪府大阪市鶴見区にある神社で、延喜式神名帳に記されている式内社です。旧社格は、郷社。江戸時代の頃は八剣神社と称されていました。鶴見区放出地域の中心的な神社です。

《阿遅速雄神社の大クス》

この大クスは神社の入り口右側にあり、主幹がばっさりと切られています。これは大正時代に落雷があって三分の一だけが生き残り、枯れた部分を樹脂で補修したものです。

境内の由緒書きでは、天智天皇四年(668年)、新羅の僧が、熱田の宮に鎮まっていた<草薙くさななぎ>の剣>を盗み出し本国に逃げ帰る途中、難波の津で大嵐にあったため、(神罰なり)と剣を川中に放り出して逃げたのそうです。だからこの地を(放出(はなてん))と言うのだとか。この後、草薙の剣は、一旦 この阿遅速雄神社にとどまった後、熱田神宮に返還されたのだそうです。


《阿遅速雄神社のお陰灯篭》

鳥居の右側にお陰灯篭(慶応4年銘/1868年)1基あります。江戸時代、ほぼ60年周期で伊勢神宮への<お陰参り>が爆発的に流行しましたが、その街道筋に残る大阪市内では唯一の灯篭です。

 

《阿遅速雄神社で本殿にお参り》

鶴見区の地下鉄<横堤<よこつつみ>

からスタートして<阿遅速雄神社>まで(大阪をおもしろくする会)代表の沖本先生のお話を聞きながら、歩きました。 ここで解散です。